公開: 2022年10月21日
更新: 2022年11月11日
平安時代末期から、鎌倉時代初期にかけて、東北地方の岩手県平泉で栄えていた奥州藤原氏は、最も栄えた時代の領主3代の遺体をミイラにして残しました。専門家の中には、この遺体の保存方法は、アイヌの風習の影響を受けたものではないかと考えている人もいます。藤原三代のミイラを調べた専門家は、藤原三代のミイラには、アイヌの人々の一部に伝わっていた、遺体の処理法が、アイヌの伝統的な方法とは違っていたことを確認しました。
つまり、藤原三代の遺体の処理には、アイヌの遺体処理の方法が使われていたという痕跡はありませんでした。このことをもって、アイヌ文化の影響が、東北地方のエミシに及んでいなかったことの証明にはなりません。